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(・ω・)ノ どうも。 サイト管理人です。
のノ字庵に里帰り中ですw

ええ。別に、飽きた訳ではありませんw
新企画は、マイペースに進行中です♪
(前の記事で「自分でも使えるサイトで、良い遊びを見つけた」と書いてますが
具体的には仕事の一環です。稼ぐ方法の1つという事です。
なので、こちらには書けないのですw )

今夜のお供は…  「べにふうき」の粉茶です。
日本茶の中で、抗炎症作用などが強いとの事で。
味は渋いのですが、何となく飲んでます。(効果も確かに感じます。)
後鼻漏とかに良さそう。

日本茶もね。美味しい茶葉は本当に美味しいんだけど。
まぁ・・・ 健康のための粉茶に 味をどうこう言うのは酷だよねw
(べにふうきは、渋さの中にもコクがあるとか、香りがあるとか、
そういうお茶ではないのよ。 ただ、うんと渋いw)

実はね。
今日、勤行してて思ったんだ。
お坊さんは、もう少し・・・ 体を大事にする感覚を持った方が良いって。
普段からそう思ってるけど、改めて思うんだよね。
生老病死ってあるじゃない? 全ての生物に共通する苦しみ。
(ついでに、愛別離苦、怨憎会苦と続く。)
世間でも「形あるものは、いつか壊れる」とか、必ず壊れるとか、言うじゃない?
肉体も「形あるもの」なので、例外なく、形があるから壊れるのです。

それなのに…
住職さんの中には時々、すごく脳筋な人がいてw
花粉症でさえ「信心が強くあれば、大丈夫。アレルギーなんて出ない」とか言ったり
高齢による自分の病気について、心理的に深く悩む人がいる。
(気の毒になるほど、深刻に考える人がいるんだよ。
病気自体についてではなくて、
慢性疾患を発症した事・その業を持っている事について深く考え込む様子。)

あのさ・・・。
信心は確かに大事だし、住職さんともなれば 修行の年数が多い分だけ徳も高いし
そう考えたくなるんだろうけど…

生老病死は全ての生命が負うものであり。
釈迦も日蓮大聖人も、それは例外ではないんだよね。
お釈迦様の体から、血を流させる行為(危害を加え、ケガをさせる事)が、
どうして重い罪になるかといえば。
御不敬に当たるのはもちろん、
肉体を得て存在する以上、ケガや病気で亡くなる可能性があるからだと思うのです。
ありがたい法を説き、人々の成仏を助ける僧侶にケガをさせて、
苦しめたり寿命を縮めさせてはいけないのです。
決して、御不敬だけが理由ではなく、体に起因する現実的な理由もあるはずです。

なので・・・
「信心が強くあれば、花粉症にならない」と変に突っ張ったり、
高齢による病気を必要以上に深く考える必要は、ないと思うんだよね。

御書や経典には、業と健康の話も色々書かれているけど、
肉体を得て生きる者として、住職さんたちも【生老病死の大前提】を忘れてはいけないと思うのです。
(大聖人だって、病気の原因は過去世の業だけでなく
「寝冷えの風邪」「食べ過ぎによる腹痛」のような、一過性の直接的な原因も挙げているし。
私が思うに、
タバコによる癌や、大量の線香を間近に浴び続けた事による緑内障も同じだと思うんだよね。
線香の成分も時代によって変わるだろうし・・・。
よく、癌は業病というけど、原因によっては少し違う気がする。)

私のように子供のころから難病に苦しむ状態であれば、それは確かに過去世からの深い業だし
そういう人が宗教的に悩むならわかるけど
年齢に伴う病気、特に高齢者の病気や体調不良は、そこまで宗教的に考えなくても良いんじゃないかな。




(個人的には、健康な人ばかりの社会の方が変だと思う。
それがあるとしたら、医療が未発達で、簡単に病人や怪我人が亡くなる世界かな?

年齢に関わらず、重病や難病はルーレットだ。
過去にどんな業があろうと、現世的には誰が発症してもおかしくない。確率的なものだと思う。
つまり、心理的に「どうして自分が」と悩むのはナンセンス。他人が重病なら問題ない、という話ではないから。

まぁ・・・ そう考えてしまう人の場合、理屈じゃないんだろうけど…。
私には「どうして自分が」という発想がないから、ちょっとわからないね。

「どうして自分が」という発想は、宗教的に病気について深く考え込む住職さんたちにもある。
【病気を特別な事として考えている】という点で似ている。
しかし、生老病死は肉体を持つすべての生命が負う業だという事を、思い出してほしい。
住職さんが病気を発症する場合、それは病院の中に折伏するべき人がいるのかもしれず。
医療職者に対しては「正宗の僧侶を助ける」という、正法と出会う縁を作っている訳ですし。

重い病気や慢性疾患は、今生では、たまたま自分に順番が回ってきただけで。
かくなる上は、その時点では患者として医療や福祉の発展に寄与する事が仕事である、という事。
そのおかげで病院は、急な感染症の流行に対応できる医療体制を保持できたりもする。
多くの人の健康寿命を延ばす事にもつながる。

自分がそれをやらなければ、他の誰かが同じ役目を負うわけで。
医療の発展のためにも、持ち回りで誰かが罹患するのだと思う。
全ての生命が成仏するまで、社会全体で持ち回る仕事になるのだろう。
折伏や広宣流布が必要な理由の1つでもある。
住職さん1人だけが徳を積んでも、防ぎ切れない部分があるという、全体的な見方
宗教的に問題の根本を考える事も大切だけど、
マイナス面だけに気を取られないように、個人単位だけで考えないように気を付けてほしい。
必要以上に精神的に苦しむ必要はないと、知ってほしい。

特に・・・ 総本山にねw 
そういう風に考えさせる空気を作っている部分があると思うので。^^; 

猊下の新型コロナ流行時の発言は、きっと正しいのでしょうけど、
猊下ほど徳を積める人、正宗の僧侶になれる人が、どれだけいるのでしょうか。
全ての男性が得度できるわけではない上に、人類の半分を占める女性の得度を退けていながらw

いくら正法の僧侶でも、肉体を得た以上、今生で解消するべき業がある訳です。
釈迦や日蓮大聖人でさえ、ケガや病気をするわけです。
つまり、生老病死は避けられないという事。
その生老病死の中で、病気だけを避けられるケースは少ないと思うのです。)
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