(~∇~) 皆様、こんにちは。のノ字庵で休憩中のサイト管理人です。
タイトルのお茶マークが、のノ字庵ですw
アップルティーが美味しいです。ありがとうございます。m(_ _”m)
食べて良し、淹れて良しの、美味しいご馳走です。
急須やマグカップに、切ったリンゴと熱々の紅茶を注ぐと完成♪
いじけ坊に頼んでおきましたw
リンゴの香りが立って、実は煮リンゴのように少し甘くなります。(*´艸`*)
ボーっと、春一番の風情(暴風雨w)を味わいながら、のんびりお茶してます。
(´ω`) あれですね… ニュースが・・・ 某湖で、遺体が見つかったとか。
あの湖、ちょいちょい同様の事件で話題になりますが…
そんなに遺棄したくなる場所なんでしょうか。(・。・;
あそこってさ、うなぎ有名だし。潮干狩りもあるし。夏はレジャーのお客さんで賑わうし。
そんなに事件が起きそうな(遺棄に選ばれるような)場所だと思えないんだけどさ・・・。
ウナギも貝も、みんなびっくりしてるよね。 (´~`)モグモグ リンゴおいしいw
地図で考えても、あそこはあまり適さないというか…。
やっぱり、隠すなら海やダムの方が人目がなくて良さそうに思うんだけど…。
あの湖、海も近いんだよね。 それでどうして、敢えて簡単に見つかる方に遺棄するのかと。 ((+_+)) わからないなぁ…。
いえ、犯罪が露見するのは良い事で。早く被害者を発見してあげられるので、それは良い事なんだけど。
ちょっと、わからないんだよね。┐(´д`)┌
とりあえず、みんなの美味しいウナギに変な味を付けないでほしい。 (←そこ!?w)
って‥ ティータイムをしながら、物騒な話をしてますが…
今回の遺棄事件とは関係ないのですが、ちょっと思うとこがあって。
殺害ってさ・・・。
これはあくまで、加害者にとって理不尽に感じることがあった末の実行に限った話なんだけど。(つまり、客観的な善悪の話ではありません。)
具体的な動機がなんであれ、それって損なんだよなぁと…。
私もさ。そりゃあるよ。色々ね。
誰でも生きてれば「何だこのやろー!!」とか、思う事はある。極まれば「ヤっちまえ!」ってなることもあるでしょう。
でもそこで、個人的な理由で「ヤっちまえ!」をした場合。
(; ̄∇ ̄) 後が困るんだよねw
私の場合。
もはや、とどまる理由は道徳ではありません。善悪や、仏教的な罪を恐れるからでもありません。
何を気にして止まるかといえば、因縁です。
今生の加害者と被害者(1対1の場合を想定。)がいて、内容が殺害だった場合。
今生では縁が切れても、その重大な行動の結果、来世で縁を持つ可能性がある訳です。
今生での被害者が、来世で加害者となり。今生での加害者が、来世の被害者となる可能性。
もし来世で大きな問題が生じなかったとしても、
今生で加害者が「やっちまえ!」となるほど嫌な思いをした相手(被害者)と、
縁を切る事ができない可能性が出てくるわけです。
生命を奪う、奪われるという、最も大きな因縁を作ってしまっている訳ですから。
良い・悪いとか、先に問題のある行動をしたのはどっちだとか、
正当防衛、報復、落とし前云々という話じゃないんです。縁の話なんです。
仏教の因果と輪廻転生で考えると、お互いに記憶がないまま、来世で再び遭遇する可能性が高い。
(; ̄▽ ̄) いやです。 私は絶対、いやです!
今生で散々な関係だった人物の顔や気配を、来世まで見たくないです。
もちろん、不可抗力的に相なってしまった場合はどうにもできないでしょうし、
ケースバイケースで、「やるか・やられるか」が目前に迫った状況では無理な話ですが、
意識が及ぶ範囲の行動、可能な状況であれば、
縁を思って踏み止まる方が、来世の遭遇確立がマシだと思うのです。
悪い因縁、二度と会いたくない性質の人間との縁を、来世へ焦げ付かせないために。
(;~ω~) だってさ・・・ 釈迦ですら、前世の師匠(阿育仙人=提婆達多)と再会するわけだよ。(前世の2人の関係が良好か不仲かは、わからないけどさ。つまり人間関係の因縁は、良くも悪くも持ち越すわけだよ。嫌だねぇ…w )
迷惑な人間から実害を被っても、「やっちまえ!」はマズい。それはどこかで止めないと、因果因縁は巡って、成仏が遠くなる。
どれだけ迷惑を被っても「我が道を行く」で成仏を目指すしかない訳だ。┐(´д`)┌ヤレヤレ
(抗議や抵抗をしない訳ではない。抗議も抵抗も脱出も、なんでも試みる。
但し、過度な反撃や「やっちまえ!」だけは避けるという事。)
正直、私はもう二度とこの世に生まれたくないですw
心身共に健康だろうと、人の縁が良かろうと、出てきたくないですw 冗談じゃないwww
億万長者が約束されたとしても、極力、この世に出る事、肉体を得て生きる事は辞退したいですw
肉体を得て生きる不便と、性質の変動に伴う危うさを思うと、
どれだけ良いスペックが約束されても、こんな遣る瀬無い世界に出てきたくありません。
目の前に助けたい人がいても、難しい世界なんだから。
(もし救助が成功しても、当人の縁によっては 助けた傍から無になる事もある訳で・・・。
法華経があるといっても、それとは別に折れない心や広い視野が必要で・・・。
例えば、アフリカに井戸を掘り続けるとか、教育が十分に受けられていない人にお金の適切な使い方を教えるとか。そういうのに似た難しさがあるのが、この物質世界だと思うんだょ。)
ついでに・・・ これは考え過ぎだけど。
他人に対して酷い迷惑行為をする人間、特に、うちの父親のような場合。
悪意の前に、異常なほどの想像力や共感力の欠如がある。つまり、そうい脳機能の状態に生まれついている。その因縁を持っているという事だ。
この脳の状態で適切な人間関係を作る事は、そもそも難しい。表面上がせいぜいだ。
何らかの悪い過去世・悪い生き方の結果が表れたという事になるけど、
そのスペックでは更に悪い因縁を作りやすくなっている。ここが辛い。悪循環の状態だ。
良い妻に恵まれてさえ、当人は自分の問題に気付かない。当人自身に困っている自覚がないという、致命的な状態。
(「どうして自分はこうなるんだろう」という自省につながる感覚がない。
「何事も周囲が悪いから、こうなるんだ」に終始する状態)
その状態で誕生するに至った過去世の生き方・前世の記憶を持っていれば、今生では少しはマシな生き方ができる可能性もあるけど、普通は前世の記憶など持っていない。
父のような場合は、既に悪循環の中にいる。
(生まれつき共感性がない状態では、改善されようがない。生きるだけ悪循環が増えかねない。)
母と結婚したお陰で正法に巡り合えたといっても、来世で今生の結果をどう受け取る事になるのか。
今生よりもさらに共感性や自省の性質が欠けてしまったら、もうどうにも・・・。
悪循環を繰り返しそうな父の転生が想像できて、ほんの少し、気の毒な気がした。
誰だって、最初から努力が及ばない状態・機能的に無理な状態で生まれたいとは思わない。
自分で多少なりとも制御できる状態で生まれたい。
前世の生き方が悪かったといっても、努力のしようがない状態で生まれたら、改善は難しい。
前世の記憶さえあれば、成長や改善ができないまでも、更なる悪い因縁を自分で作ることは、回避できるかもしれないのに…。
自分を含めて、誰にも言える事だけどさ。
(そもそも前世の記憶がない状態で、転生後に改善を目指すというのが無茶な話でw
だけど、そこで文句を言ってもどうなるものではないから、釈迦は教えを説いた。
おそらく、凡人が前世の記憶を取り戻す方法はない、あるいは無意味と判断したからだ。
記憶がなくても成仏できる方法、魂を成長させられる方法として、法華経を説いた訳だね。)