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前回の記事に書いたけど、長くなり過ぎたのでお引越しw

宗教は、民主主義ではない。
もしも「みんなの意見」で日々の信仰に関わる教義や方向性が
コロコロと変わってしまったら。それは宗教ではない。

なので、宗教政権は、本当の意味で民主主義政治とは言えない。
宗教政党が第一党として政権を握り、宗教に依った運営を始めれば
「法の下の平等」で言うと、それはハンムラビ法典のような限定されたものになるだろう。
「法の下」の法が宗教に依る以上、平等も、自由も、教義に依って制限される。

そうなると。
今現在、多くの人々によって支持されている平等、自由、基本的人権の尊重などに基づく法律とは、多少なりとも変わる。
したがって、宗教は基本的に民主主義ではないし、互いに相容れないものだと言える。

例:アフガニスタンのタリバン政権
ハンムラビ法典
仏教、イスラム教、キリスト教など

因果を説く仏教の場合・・
人それぞれ、過去世の因果が違うのだから、現在が不平等なのは当たり前】と
(過去世の記憶がない多くの人にとっての)現世での理不尽を認める部分がある。
そして… 【それらを解決したければ、
成仏を目指して正法の修行に励み、
自身の過去世から持ち越した業を解消して、さらに徳を積み、境涯を上げなさい。

という話になる。

宗教によらず、現世的に解決したとしても。
因果を解消できていなければ、その後も同じような問題や困難に何度でも直面してしまうから、
正法の修行によって、根本的な解決を図る必要がある、という話。

それは確かに正しくて。末法における現代の正法である
日蓮正宗による修行・読経等の効果・功徳は確かにあるのだけど。
それは内容として、前提や解決方法の部分で、現世的な政治や民主主義とは相容れない。
政治や法律というのは、現世で起きた問題を、現世だけの理屈で解決しようとする世界だからだ。
このため、全てにおいて過去世・現世・未来世の三世にわたる因果の観点を持ち、
より根本的な解決方法を説く仏教(宗教)とは、互いに相容れない部分がどうしても出てくる。

’(より具体的な例は、左メニューのリンクから、オアシス035をご覧ください。
「信心のヒント1」「信心のヒント2」「サイト管理人の人生」などを参照)

そんな訳で。日蓮正宗の信徒であり、オアシス035のサイト管理人である私は
民主主義国家の中で宗教による太平を願うなら。

宗教政党・宗教政権を樹立するよりは、
日頃の信心修行の中で地道に信仰する人を増やして、国民1人1人の境涯を上げることで
良好な暮らしを保つ因果を作り、増やしていくのが道ではないかと思う。

多くの国民の魂が成仏の境涯に近付けば(=平和で安定した良い暮らしの因を持てば)
その結果(因果の果)として、
全体の国民生活に影響を与える政治が、結果的に良好な暮らしを作り・保つ政策を行い、
それが確実に功を奏することで、国民の暮らしが向上する可能性があるという事。


だから・・・ねw
民主主義国家の中で、宗教政党を作る団体や、作ろうとする宗教団体は
本当に宗教で国を救おうとする「(潜在的に)独裁国家への変換を試みるタイプ」と
宗教の名を借りて、富と地位と名声を得たいだけの「悪党独裁タイプ」の
どちらかだと思う。
日本の現状は、自民も公明も後者の悪党独裁タイプだねw
この期に及んで、自民が複数のカルト宗教などと関りがないとは言わせないw

まともな宗教ほど、
民主主義国家の中で(民主主義への支持が強い情勢で)政治なんて目指さない。
その理由の1つは、民主主義と宗教が相容れない事を理解しているからだ。
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